議員としての四年間を振り返って No.1

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今日、6月30日で52歳の誕生日を迎えました。節目を迎え、あらためて多くの人の支えをいただいてきたことに感謝しています。教師時代の生徒だったの皆さん。皆さんと出会えたことが、元気の素になっています。子どもだった皆さんの率直さや優しさや、個々の持つ課題について一緒に考え悩んできたことが原点です。
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  議員となって、3年と数ヶ月がすぎました。震災後の対応が問われていた議員としてのスタート。なんといっても、防災体制づくりの検討する特別委員会に入って、議会内で1年半200時間を越えて論議したことが、議会のなすべき仕事として先輩議員と意見交換をしたことが、大変勉強になりました。  2012年に入ると、1月15日の芦名における黒岩知事の「がれき搬入の説明会」から約一年半、地域の中で、連合町内会の皆さんと一緒に悩み続けた日々が思いだされます。
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 震災への協力は惜しむべくもないが、協定書のある芦名町内会の合意、住民の同意なしにはそれは進められないということも事実。 放射能汚染の心配が大きくなっていた時期と相まって、地域は、賛成と反対に二分される事態になる。外からも賛成・反対の双方から電話がかかってくる。 報道メディアによる猛烈なバッシング。 3月を過ぎる頃には、バッシングも峠を過ぎるが、どうやって決めるのかが焦点となる。 県は7月、新たな提案として「漁網」。漁網についての論議ではさらに混迷する。そして、連合町内会独自で「意向調査」の実施となる。 全てのシーンが思い起こされます。近いうちに、あれは何だったのか、地域の皆さんにお話しする機会を持ちたいと思います。
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 そういった中で被災地への支援や視察についても継続してきました。岩手県大槌・釜石、宮城県南三陸町、仙台市、福島県伊達市・飯館村への視察と放射線調査。ガイガーカウンターが「ガリガリガリ」と音をたてて、赤い危険表示をした時は、驚きましたね。  被災地の今をもう一度検証するため夏にかけて、今年も足を運びたいと思っています。
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2011年5月3日 南三陸町 ~とにかく、様々な事件が起こって、それに対して何をしてきたのか、これから何をしたいのか話していきたいと思います。  (第一話) がれき関係~49本のブログを書いています。 時間のある時に見ていただければと思います。 http://hasedon.at.webry.info/theme/168087fc83.html  ]]>