秘密保護法 衆院通過におもう。

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民意は、軽視された。国民的な論議が熟する間もなく、自公政権は、採決を強行した。国民の人権に関わることだけに、深刻である。この暴挙を許すことは出来ない。   「将来の危険に目をつぶれば、政党政治は墓穴を掘る。民主主義国家の命綱である権力監視と自由な言論を失う時、最大の被害者は国民となる。それが歴史の教えだ。」  治安維持法成立時の1925年の若槻礼次郎の回顧録を振り返る。  「国体の破壊と私有財産制度の廃止 2点を処罰の対象として列挙し、「政府はこの二つさえ、取り締まれば、その他はとりしまる意志はないのだと言った。委員達もそれなら何でもないと言った。」・・・  (11月 27日 朝日新聞一面記事 政治部長 曽我豪) その後、この法律が拡大解釈され、多くの言論人や政治家さらには無実の市民を牢獄に送った。   「戦争はいやだ」と言っただけで、牢獄に送られたものも数多くいる。
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 法律は、予算や条約と比して、手続き上も衆院が可決しても参院が否決すれば、衆院で再議決されない限り、廃案となる。これは、予算や条約よりも法律の制定はより慎重に、疑念がある時は、法の審議はもう一度やり直すべきという、近代憲法の理念が生かされているのだ。 法律は、国民をしばるものである。しばるものであるからこそ、審議は慎重にする必要があるのだ。憲法は、こういった政治の暴走を防ぐために、権力に歯止めをかけるために存在する。この憲法すらも、現在の政治状況では、風前の灯となる。  私たちは、歴史の傍観者になってはならない。今、こそ声を上げていく必要がある。私も国会に足を運び、議員会館の参議院の仲間に応援の声を届けたい。今日から、参議院が主戦場となる。  参議院が良識の府として、どれだけ頑張れるのか。一人一人の議員の良識が問われる重要な試金石です。 この法案は、世界の秘密保護の基準から行っても、全く基本の考え方がなっていない、秘密の規定が、定められず、「秘密がなんなのかが、秘密」という闇から闇に葬られてしまう恐れがあるのだ。時の権力者がどんな横暴を働かそうが、あばこうとすれば、逮捕され、事実は60年後。さらに、無罪であっても、当事者が、生きている可能性も少ない。 多くの市民の皆さん。もう一度、「秘密保護法」が何なのか、学びそして、そのことが私たちの生活とどのように関わるのかを真剣に論議しましょう。   「それでも地球は回っている」といって、有罪となったガリレオ・ガリレイを思いながら。  
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特定秘密保護法案―民意おそれぬ力の採決 朝日新聞社説 2013.11.27  
数の力におごった権力の暴走としかいいようがない。  民主主義や基本的人権に対する安倍政権の姿勢に、重大な疑問符がつく事態である。  特定秘密保護法案が、きのうの衆院本会議で可決された。  報道機関に限らず、法律家、憲法や歴史の研究者、多くの市民団体がその危うさを指摘している。法案の内容が広く知られるにつれ反対の世論が強まるなかでのことだ。  ましてや、おとといの福島市での公聴会で意見を述べた7人全員から、反対の訴えを聞いたばかりではないか。  そんな民意をあっさりと踏みにじり、慎重審議を求める野党の声もかえりみない驚くべき採決強行である。  繰り返し指摘してきたように、この法案の問題の本質は、何が秘密に指定されているのかがわからないという「秘密についての秘密」にある。これによって秘密の範囲が知らぬ間に広がっていく。 ■温存される情報の闇  大量の秘密の指定は、実質的に官僚の裁量に委ねられる。それが妥当であるのか、いつまで秘密にしておくべきなのかを、中立の立場から絶え間なく監視し、是正を求める権限をもった機関はつくられそうにない。  いま秘密にするのなら、なおのこと将来の公開を約束するのが主権者である国民への当然の義務だ。それなのに、60年たっても秘密のままにしておいたり、秘密のまま廃棄できたりする抜け穴ばかりが目立つ。  こうして「情報の闇」が官僚機構の奥深くに温存される。  「これはおかしい」と思う公務員の告発や、闇に迫ろうとする記者や市民の前には、厳罰の壁が立ちはだかる。  本来、政府が情報をコントロールする権力と国民の知る権利には、適正なバランスが保たれている必要がある。  ただでさえ情報公開制度が未成熟なまま、この法案だけを成立させることは、政府の力を一方的に強めることになる。 ■まずは国家ありき  「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」という文書がある。  この6月、南アフリカのツワネでまとめられた。国連や米州機構、欧州安全保障協力機構を含む約70カ国の安全保障や人権の専門家500人以上が、2年にわたって討議した成果だ。  テロ対策などを理由に秘密保護法制をととのえる国が増えるなか、情報制限の指針を示す狙いがある。  国家は安全保障に関する情報の公開を制限できると認めたうえで、秘密指定には期限を明記する▽監視機関はすべての情報にアクセスする権利を持つ▽公務員でない者の罪は問わないなど、50項目にのぼる。  法案は、この「ツワネ原則」にことごとく反している。  安倍首相は国会で、欧米並みの秘密保護法の必要性を強調したが、この原則については「私的機関が発表したもので、国際原則としてオーソライズされていない」と片づけた。  これだけではない。国会での政府・与党側の発言を聞くと、「国家ありき」の思想がいたるところに顔を出す。  町村信孝元外相はこう言った。「知る権利は担保したが、個人の生存や国家の存立が担保できないというのは、全く逆転した議論ではないか」  この発言は、国民に対する恫喝(どうかつ)に等しい。国の安全が重要なのは間違いないが、知る権利の基盤があってこそ民主主義が成り立つことへの理解が、全く欠けている。 ■世界の潮流に逆行  一連の審議は、法案が定める仕組みが、実務的にも無理があることを浮き彫りにした。  いま、政府の内規で指定されている外交・安全保障上の「特別管理秘密」は42万件ある。特定秘密はこれより限られるというが、数十万単位になるのは間違いない。  これだけの数を首相や閣僚がチェックするというのか。  与党と日本維新の会、みんなの党の修正案には、秘密指定の基準を検証、監察する機関を置く検討が付則に盛り込まれた。  首相はきのうの国会答弁で第三者機関に触れはしたが、実現する保証は全くない。  有識者会議の形で指定の基準を検証するだけでは、恣意(しい)的な指定への歯止めにはならない。役所が都合の悪い情報を隠そうとする「便乗指定」の懸念は残ったままだ。  独立した機関をつくるならば、膨大な秘密をチェックするのに十分な人員と、指定解除を要求できる権限は不可欠だ。  この法案で政府がやろうとしていることは、秘密の保全と公開についての国際的潮流や、憲法に保障された権利の尊重など、本来あるべき姿とは正反対の方を向いている。  論戦の舞台は、参院に移る。決して成立させてはならない法案である。
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