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「1945」 戦争を知っているおじいちゃんおばあちゃんの話
~取材映像・シネマ上映会イベント~
会場は、横須賀市走水にある「かねよ食堂」都内からわざわざ車を走らせてくるお客さんもいる最近人気のお店だ。 走水海岸の夕日が美しい。三浦半島をまたいで、馬堀海岸と大津の向こう側に富士山が見える。位置感覚が不思議な感じがする風景。
18時「1945」のシネマ上映会が始まる。「1945」は、70年前の1945 年という年を一つのキーワードとして、この年にどんなことがあって、語れる方がお元気なうちに、きちんと記録として残していこうというプロジェクトです。
まずはじめに、「1945」の主題歌を歌っている。ご夫婦のミュージシャンMomo-Seiアコースティックライブ これも良かった。二人のハーモニーも素敵でした。
次に、取材映像を見た。当時の克明な記録が淡々と流れる。 そして、今日のゲストは、横須賀で生まれ、横須賀で長年教師をしてこられた木村禮子先生(85)。
当時の海軍の街、横須賀の中での生活を中心にお話ししていただいた。実に丁寧に当時の心境を当時の日記を読むように刻銘にお話をしていただいた。 慶応大学の学生だったお兄さんの学徒出陣。出征、南方での戦死。
木村さんの家に下宿をしていた日本海軍のたくさんの水兵さんの話。「たくさんの水兵さんが入れ替わり下宿していた。幼少の頃から、終戦の16歳の頃まで、みんなとても可愛がってくれた。」 「その水兵さんたち。みんな帰ってこなかった。」 「船が二回も沈没して、海を泳いで助かったと話していた水兵さんも、三回目には帰ってこなかった。」 私にとっての戦争は、「目の前で人が亡くなったり、悲惨な何かを目撃したのではなく、行ってくるよっていった人たちが、帰ってこないことだった。」「兄も、水兵さんも、待っても待っても帰ってこなかった・・・・。」
終戦を迎えた心境。
「街が明るくなった。それまで、灯火管制があって、暗くしていた。それを外して良くなった。」
「もう日本人が死ななくて良くなったんだ。戦争をしなくていいんだ。」
それと、「何をしゃべってもいいんだ」というのが、心の底から湧き出る気持ちだった。
それまで、私たちは「自由」って言葉を知らなかったわ。自由って、そういう気持ちすらどこにもなかった。
何かしゃべっていると憲兵に連れて行かれるんじゃないかって。憲兵隊の前では、話をしないで、そっと通り過ぎたわ。
三浦・松輪にあった特攻隊「震洋」の話など、昨日のことのようにお話をしていただいた。戦後木村先生が、何年もかけて、聞き取りをして、いつ冊の本を編集した。その中で当時16~17歳の子ども達が、ボートに爆弾を積んで、敵艦にぶつかる訓練をしていた記録を残している。
戦後、憲政の神様「尾崎行雄」が、お会いした時に直接話された「善と悪の判断のものさしは何か?」という問いかけと答えは今も指針になっているそうです。 尾崎氏は、「それは、良心だ。」と言われたこと。今でも精神的な支柱になっているという。
最後に、「美しい夏、キリシマ」という映画、まさに「1945」テーマにぴったりの映画。肺の病気で予科練にもいかず、家でくすぶっている主人公と家族、親族と駐留してきた軍隊、それぞれの1945年8月前半の数日間を丁寧に美しく描いた戦争にまつわる映画でした。多くのことを考えさせられる映画でした。戦争・戦場でないところで見た、戦争。いや、戦争の空気感。きちんと描かれている秀作。ぜひ見ていただきたい。
ちょうど今日は、朝日新聞社の「アエラ」が「1945」を取材。全面的に見ていかれました。戦後70年の特集のようです。
明日も席はまだ空いているようです。ぜひ足を運ばれたらいいと思います。お酒も食事も食べながら飲みながらで大丈夫です。「かねよ食堂」の食事も、とても美味しいです。
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