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12月10日マララ・ユスフザイさん(17才)が史上最年少でノーベル平和賞を受賞した。 行きつけのRRROOMに行くと。彼女のことを書いた本が置いてあった。「ぼくたちはなぜ、学校に行くのか」という小学生高学年向けの本だった。
子どもたちの写真が随所に貼り付けられ、世界の子どもたちの状況、貧困と戦争・政治のしわ寄せが、子ども達にかぶさっている様子が語られる。だからこそ子ども達に教育が必要であり、学校が必要であるかを、語るように書かれている。
マララさんは「学校に行きたい」と行動を起こしたことで、頭を銃で撃たれた。
貧困や紛争と戦争の中で、子供たちが生きている。子ども達には責任はない。世界中のどの国の子供たちにもひとしく教育が与えられることを願う。また大人は子どもたちの未来を保証する責任を持つ。
彼女は訴えは心に響く。
「ぼくたちはなぜ学校へ行くのか」 石井光太著 1620円
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=29002170
12月11日東京新聞
受賞演説でマララさんは「賞は私だけのものではない。
教育を求める忘れられた子どもたち、変化を求める声なき子どもたちのものだ」と強調した。
「なぜ“強い”といわれる国々は、戦争を起こす上ではたくましいのに、平和をもたらすことに弱腰なのか。戦車を簡単に造るのに、学校を造るのはなぜこれほど難しいのか」。
大人たちに疑問を呈し、「今こそ行動に移す時。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち全てが関わらなければならない。
子どもたちが工場で過ごし、戦争で命を落とし、学校に行けずにいるのを、これで終わりにしよう」と呼び掛けた。
マララさんのノーベル賞受賞演説 全文
慈悲あまねく慈愛深きアラーの御名において。
国王、王妃両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下並びにノルウェー・ノーベル賞委員会の皆様、親愛なる姉妹、兄弟たち、今日は私にとって素晴らしく幸せな日です。恐れ多いことに、ノーベル賞委員会は私をこの重要な賞に選んでくださいました。
みなさんの絶え間ない支援と愛に感謝しています。今でも世界中から手紙やカードを届けてくださることに、お礼を申し上げます。みなさんの優しい励ましの言葉に、私は元気づけられ、刺激を受けています。
私を無条件に愛してくれる両親に感謝します。父は、私の翼を切るのではなく、私を羽ばたかせてくれました。母は私に、がまん強くなろう、いつも真実だけを語ろうという気にさせてくれます。真実を語ることこそが、私たちが信じるイスラムの真のメッセージです。
そして、私に自分を信じ、勇敢にさせてくれたすべてのすばらしい教師たちに感謝しています。
最初のパシュトゥン人、パキスタン人として、そして最年少でこの賞をいただくことをとても誇りに思います。また、年下の弟たちといまだにけんかをしているノーベル平和賞の受賞者も、私が初めてだと確信しています。世界中が平和になってほしいのですが、私と弟たちに平和が訪れるのはまだ先になりそうです。
また、長年、子どもの権利を守り続けてきたカイラシュ・サティヤルティさんとともに受賞できることを光栄に思います。実際、私が生きてきた期間の2倍もの時間を、この問題に注いでこられたのです。私たちがともに活動し、インド人とパキスタン人がともに子どもの権利という目標を達成することができると世界に示せることを誇りに思います。
親愛なる兄弟、姉妹のみなさん、私はパシュトゥン族の「ジャンヌ・ダルク」である、(伝説の人物の)「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。「マララ」という言葉には、「悲しみに打ちひしがれた」「悲しい」という意味があります。ですが、その名前に「幸せ」という意味を添えようと、私の祖父はいつも「マララ」と呼びます。マララ、それは世界で一番幸せな少女のことであり、きょう、大切なことのためにともに闘っているのがとても幸せです。
今回の賞は私だけのものではありません。教育を望みながら忘れ去られたままの子どもたち、平和を望みながら脅かされている子どもたち、変化を求めながら声を上げられない子どもたちへの賞なのです。
私は彼らの権利を守るため、彼らの声を届けるために、ここに来ました。今は、彼らを哀れむときではありません。教育の機会を奪われた子どもたちを目にしなくなるよう、行動を起こすときです。
人々は私をいろんなふうに呼ぶのだと知りました。
ある人は、タリバーンに撃たれた少女と。
ある人は、自分の権利のために闘う少女と。
今は、「ノーベル賞受賞者」とも呼ばれます。しかし、弟たちは今も「うるさい、いばった姉」と呼びます。
私が知る限り、私は、全ての子どもたちが質の高い教育を受けられることを望み、女性が平等な権利を持つことを望み、そして世界の隅々までが平和であることを願う、熱心で頑固な人間でしかありません。
教育は人生の恵みの一つであり、不可欠なものの一つでもあります。このことを、私は17年の人生で経験しました。パキスタン北部スワート渓谷にある故郷で、私はいつも学校と、新しい物事を学び、発見することを愛していました。友だちと一緒に(植物染料の)ヘナを使って、特別な日に、自分たちの手を飾り付けたことを思い出します。花や模様を描くかわりに、私たちは数学の公式や方程式を手に書きました。
私たちの未来はまさに教室の中にあり、私たちは教育を強く求めていました。ともに座り、学び、読みました。私たちはきちんとした身なりの制服に袖を通すのが好きでしたし、大きな夢を持って教室の席に座っていました。両親に誇らしく思ってもらい、優れた成績をあげたり、何かを成し遂げたりという、一部の人が男子にしかできないと思っていることを、女子でもできると証明したかったのです。
こうした日々は続きませんでした。観光と美の地だったスワートは突然、テロリズムの地に変わってしまいました。私は10歳でした。400以上の学校が破壊されました。女性たちはむちで打たれました。人々が殺されました。そして、私たちのすてきな夢は悪夢へと変わったのです。
教育は「権利」から「犯罪」になりました。女の子たちは学校に行くのを阻まれました。
ですが、私をとりまく世界が突然変わったとき、私の中の優先順位も変わりました。
私には二つの選択肢がありました。一つは何も言わずに、殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されること。私は二つ目を選びました。声を上げようと決めたのです。
私たちの権利を否定し、情け容赦なく人々を殺し、イスラムの名を悪用するテロリストの不正な行為をただ傍観することはできませんでした。声を上げ、彼らに言おうと決めたのです。「聖典コーランの中で、アラーの神は一人を殺せば、人類全体を殺したも同然だということをおっしゃったことを学ばなかったのでしょうか? 預言者ムハンマドが『自らも他者も傷つけてはいけない』と説いていることや、コーランの最初の言葉が『読め』という意味の『イクラ』であることを知らないのですか?」
2012年、テロリストたちは私たちを止めようとし、バスの中で私と今ここにいる友人を襲いました。しかし、彼らの考えも、銃弾も、勝利をおさめることはできませんでした。私たちは生き残り、その日から私たちの声は大きくなり続けています。
私が自分の身に起こったことをお伝えするのは、珍しい話だからではありません。どこにでもある話だからです。
これは、多くの女の子たちの物語なのです。
今日は彼女たちの話もしましょう。私は、パキスタンやナイジェリア、シリアからこの物語を共有する仲間たちを連れてきました。あの日、スワートで一緒に撃たれ、学ぶことをやめずにいる勇敢なシャジアとカイナートも一緒です。さらに、カイナート・ソムロは激しい暴力と虐待を受け、兄弟を殺されましたが、屈することはありませんでした。
マララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちも一緒にいます。勇敢な16歳のメゾンはシリア出身です。今はヨルダンで難民として暮らし、少年少女たちの勉強を手助けしながらテントを行き来しています。そして、アミナの出身地であるナイジェリア北部では、(イスラム過激派の)「ボコ・ハラム」が、少女たちが学校に行きたいと望んだというだけで、彼女らにつきまとい、脅し、誘拐しています。
私は身長5フィート2インチ(157・5センチ)の、一人の女の子、一人の人間に見えるでしょう。高めのハイヒールを入れるとですけれどね。本当は5フィートしかありません。でも、私の意見は、私一人だけでなく大勢を代弁しているのです。
私はマララであり、シャジアでもあります。
私はカイナート。
私はカイナート・ソムロ。
私はメゾン。
私はアミナ。私は、教育を奪われている6600万人の女の子なのです。
そして、今日、私は自分ではなく、その6600万人の声を上げているのです。
人々は、なぜ女の子が学校に行くべきなのか、なぜそれが重要なのか、と私に尋ねたがります。しかし、より大事な問いは、なぜ行くべきじゃないのか、なぜ学校に行くべき権利を持っていないのかだと思います。
今日、私たちは、世界の半分で急速な進歩や近代化、開発を目の当たりにしています。しかしながら、いまだに数百万もの人々が戦争や貧困、不正といった極めて古い問題に苦しむ国々もあります。
罪のない人々が命を落とし、子どもたちが孤児になるような紛争がいまだに起きています。シリアや(パレスチナ自治区)ガザ、イラクで、多くの家族が難民となっています。アフガニスタンでは、自爆攻撃や爆発で家族が殺されています。
アフリカの多くの子どもたちは、貧しさのために学校へ行くことができません。申し上げたように、ナイジェリア北部には今も、学校に行く自由がない女の子たちがいます。
インドやパキスタンのような多くの国で、カイラシュ・サティヤルティさんが言われるように、社会的なタブーのために多くの子どもたちが教育を受ける権利を奪われています。児童労働や女児の児童婚が強制されています。
私と同い年で、とても仲がいい級友の一人は、いつも勇敢で自信に満ちた女の子で、医者になることを夢見ていました。でも、夢は夢のままです。12歳で結婚を強いられ、すぐに男の子を産みました。たった14歳、まだ彼女自身が子どもでした。彼女なら、とてもいいお医者さんになれたでしょう。でも、なれませんでした。女の子だったからです。
彼女の話があったから、私はノーベル賞の賞金をマララ基金にささげるのです。マララ基金は、女の子たちがあらゆる場所で質の高い教育を受けられるよう援助し、声をあげるのを助けるものです。基金の最初の使い道は、私が心を残してきた場所パキスタンに、特に故郷のスワートとシャングラに、学校を建てることです。
私の村には、今も女子のための中学校がありません。私の友だちや姉妹たちが教育を受けることができ、ひいては夢を実現する機会を手に入れることができるように、中学校を建てたい。これが私の願いであり、義務であり、今の挑戦です。
これは私にとって出発点であり、立ち止まる所ではありません。全ての子どもたちが学校にいるのを見届けるまで、闘い続けます。
親愛なる兄弟、姉妹の皆さん。マーチン・ルーサー・キングやネルソン・マンデラ、マザー・テレサ、アウンサンスーチーのような変革をもたらした偉大な人たちも、かつてこの舞台に立ちました。カイラシュ・サティヤルティさんと私のこれまで、そしてこれからの歩みもまた、変化を、それも息の長い変化をもたらすものであればと願っています。
私の大きな希望は、子どもたちの教育のために闘わなければならないのは、これが最後になってほしい、ということです。この問題をこれっきりで解決しましょう。
私たちはすでに、多くのステップを踏んでいます。今こそ飛躍するときです。
今は、指導者たちにいかに教育が大切か、わかってもらおうと話すときではありません。彼らはすでにわかっています。彼らの子どもは良い学校に通っているのです。今は彼らに行動を求めるときなのです、世界中の子どもたちのために。
世界の指導者たちには、団結し、教育を全てに優先するようお願いします。
15年前、世界の指導者たちは地球規模の一連の目標「ミレニアム開発目標(MDGs)」を決めました。その後、いくつかの成果はありました。学校に通えない子どもの数は半減しました。とはいえ、世界は初等教育の拡大にばかり注力していましたし、成果が全員に行き届いたわけではありません。
来年、2015年には、世界の指導者たちが国連に集い、次の一連の目標「持続可能な開発目標」を策定します。来たるべき世代のための野心的目標を決めるのです。
なぜ世界の指導者たちは、途上国の子どもたちには読み書きなど基礎的な能力があれば十分、という見方を受け入れるのでしょうか。彼らの子どもには、代数や数学や科学や物理の宿題をさせながら。
指導者たちは、全ての子どもに無料で、質の高い初等・中等教育を約束できるように、この機会を逃してはなりません。
非現実的だとか、費用がかかりすぎるとか、難しすぎるとか言う人たちもいるでしょう。不可能だとさえ。それでも、今こそ世界がより大きな視野で考える時なのです。
親愛なる兄弟、姉妹の皆さん。いわゆる大人の世界の人たちは理解しているのかもしれませんが、私たち子どもにはわかりません。どうして「強い」といわれる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの? なぜ銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの? 戦車を造るのはとても簡単で、学校を建てるのがとても難しいのはなぜ?
現代に暮らす中で、私たちは皆、不可能なことはないと信じています。人類は45年前に月に到達し、まもなく火星に着陸するでしょう。それならば、この21世紀に、すべての子どもに質の高い教育を与えられなければなりません。
親愛なる姉妹、兄弟の皆さん、仲間である子供たちのみなさん。私たちは取り組むべきです。待っていてはいけない。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち皆が貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも、私たちも。それが私たちの務めなのです。
「最後」にすることを決めた、最初の世代になりましょう。空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性を目にすることを「最後」にすることを決めた、最初の世代になりましょう。
男の子も女の子も、子ども時代を工場で過ごすのはもう終わりにしましょう。
少女が児童婚を強いられるのはもう終わりにしましょう。
罪のない子どもたちが戦争で命を失うのはもう終わりにしましょう。
学校に行けない子どもたちを見るのはもう終わりにしましょう。
こうしたことは、もう私たちで最後にしましょう。
この「終わり」を始めましょう。
そして今すぐにここから、ともに「終わり」を始めましょう。
ありがとうございました。
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