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鴨居中学校時代の教え子の小沢一航君から連絡があった。 「戦争体験が話せる方いませんか・・・」というお願いだった。
それならばと、木村禮子先生を紹介した。戦後すぐに中学校の国語の教師として教壇に立ち、長く横須賀の教育のために頑張ってこられた方。 三浦・松輪にあったの特攻隊「震洋」のこともご自身で、取材をして本を書かれた。 戦中戦後の横須賀を語れる人ならばということでお願いした。
85歳という年齢にもかかわらず、当時のことを日記をめくるように、話してくれた。
戦前の汐入、横須賀の様子。家に海軍さんが下宿をしていたこと。慶応大学の学生だった兄さんが学徒出陣、南方の島で戦死したこと。
1945、8月 広島の親戚が、原爆で全滅したこと。
敗戦。そして、戦後の横須賀、アメリカ軍が日本に来た。進駐軍が日本人にしたこと。
私も、今回の記録作業に立ち会って、 戦争体験というよりも、人の歴史。日本という国の歴史、をきちんと語り継いでいくことの大切さを感じた。 ぜひ「1945」 みてください。
1945 ホームページ http://ichikyuyongo.com
タウンニュース 11月17日号
風化していく戦争体験者の記憶を記録する─。第2次世界大戦で日本が敗戦した「1945年」を軸に、その時代を生きた人たちの証言などをWEBサイトで公開しようと若手クリエーターらが準備を進めている。取材対象を78歳以上の人に限定し、自分史としての戦前戦後を語ってもらう。戦後70年の節目となる来年2月下旬の開設を予定している。
「1945」プロジェクトと題した企画を推し進めているのは、厚木市で広告事業などを手掛ける(株)ブライトン代表の両角慶太氏(40)。WEBサイトのデザインに鴨居在住の画家IKKO(一航・36)氏が参加している。プロジェクト立ち上げの動機は、「今の日本の空気は戦前の状況に似ている」というマスコミ報道を頻繁に耳にするようになったこと。
教科書や映画の題材となる戦争とは別の角度で「戦争に翻弄された市井の人の声を聞きながら、自分たちの世代が平和の意味を考えてみたいと思った」と両角氏は話す。
WEB動画という手法を選んだのは、「映像や音楽の力で、同世代や下の世代に広く伝える」ためだ。戦争の語り部たちが年々少なくなっている現状にも危機感を抱いており、「時間に限りがある」と行動を急ぐ。
すでに取材を進めており、これまでに4人の戦争体験者にインタビューを行ったという。
汐入出身で元中学校教師の木村禮子さん(85)も協力者となって、自身が本にした三浦市松輪にあった海軍水上特攻隊「震洋」について語っている。今後は情報提供を受けながら全国を舞台に取材活動を展開していく方針。
同プロジェクトでは、WEB上で不特定多数の支援者から資金を集める「クラウドファンディング」と呼ばれる手法でサイトの運営費用などを賄う計画だ。投資金額に応じて種々の特典を用意、Tシャツやステッカーなどのグッズを提供する。
「1945」のWEBサイト=写真はデモ画面=の運営と並行して、戦争を題材にした映画やインタビュー動画の上映会を実施していく。戦争体験者と対話できる機会なども設けるという。
現在は2月の本公開に向けて、取り組みの概要や手掛けたインタビューの断片を伝える予告動画を配信している。
【URL】http://youtu.be/UKwb8Wc9mJE
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