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政府は4月1日の閣議で、従来の武器輸出三原則に代わる新たな「防衛装備移転三原則」を決定しました。これは、まず、「紛争当事国でなく国連決議に違反しない」、「日本の安全保障に資する」、「移転先での適正な管理が確保される」、の三点を軸に武器輸出に関する条件を定めるものですが、事実上、武器輸出を自粛してきた国是を転換していることであり、決して認められるものではありません。武器を輸出することを国が認めることです。
これまで、日本は1967年に当時の佐藤栄作内閣が、①共産国、②国連安保理決議で禁止されている国、③紛争当事国やその恐れのある国、への輸出を禁じたことにはじまり、76年に三木武夫内閣がこれを拡大し事実上の輸出は禁止してきました。
この「武器輸出三原則」は長年の国会論戦や国民的議論の中で定着し、日本が平和国家として、日本の企業が「死の商人」にはならないという、我が国の憲法が保障する平和主義を具現化する基本政策となってきました。
近年は兵器の共同開発等に関連して、官房長官談話によって個別に例外を認める例外措置が拡大され武器輸出三原則の形骸化が懸念されてきましたが、「国際紛争を助長させない縛り」として一定の役割を果たしてきていたのも事実です。
しかし、今回のこの新原則によって輸出を例外とする従来の方針が、輸出禁止を例外的な扱いとするものに180度転換されることとなります。 例外を増やして、なし崩しで骨抜きにした揚げ句に、現状に合わせてルールを緩めるという手法であり、そのことはこれまでの経過からすれば、決して許されるものではありません。
新原則について政府は、「厳格な審査」や「透明性の確保」を強調していますが、武器や技術の輸出によって結果として「紛争を助長」したり、「紛争に加担」したりする可能性が当然でてきます。
また、間接的な紛争加担が日本への敵意を生みだすこともあり得ます。 そのことから、海外で活動する日本人が危険にさらされる事態にもつながりかねません。武器輸出によって防衛産業が肥大化して政治と一体化し、米国における「軍産複合体」のような力が生まれる可能性もでてきます。
こういった事実の積み重ねによって、世界中に武器を売る「死の商人」とつきすすむ道が、戦争を放棄した平和国家・日本の進むべき道とはとうてい考えられるものではありません。
今回の安倍内閣による新「防衛装備移転三原則」の閣議決定に対して、強く抗議します。さらにあわせて、武器禁輸の徹底を強く求めます。日本が、「戦争の出来る国」になることが、この国の未来にとって、いいこととは思えません。「戦争をつくらない国」でありつづけることが、世界の国々に対しての「名誉ある地位」であることをとらえ、あらためて、憲法を大切にする必要があります。
朝日新聞 (社説)武器輸出緩和 平和主義が崩れてい 2014年4月3日
歴代内閣が、曲がりなりにも50年近く掲げてきた武器輸出三原則。これに代わる新たな原則を安倍内閣が決定した。
「死の商人」との連想を避けるためだろうか。新原則は「防衛装備移転三原則」という。だがその実体は、武器輸出の原則禁止から、条件を満たせば認める百八十度の方針転換だ。
これで日本は、国際的な武器ビジネスの戦列に加わることができるようになる。
旧原則は、憲法の理念に基づく日本の平和主義の柱のひとつだった。極めて拙速な決定と言わざるをえない。
新しい原則は次の三つだ。
(1)条約や国連安保理決議に違反する国には輸出しない。
(2)輸出は、平和貢献や日本の安全保障に資する場合などに限定し、厳格に審査する。
(3)原則として、日本の同意なしの目的外使用や第三国移転がないよう管理する。
新原則は前文で、「我が国の平和と安全は我が国一国では確保できず、国際社会も我が国が積極的な役割を果たすことを期待している」とうたう。
安倍首相が唱える「積極的平和主義」の具体化であり、首相がめざす集団的自衛権の行使容認と同じ文脈にある。
政府が新原則で主に想定しているのは、ハイテク化と高額化が進む最新鋭兵器の国際的な共同開発への参加だ。
安倍内閣はすでに旧原則の例外として、米英など9カ国が共同開発したF35戦闘機の部品輸出を認めているが、今後はこうしたケースに開発段階から加わりたい考えだ。
背景には、コスト削減と防衛産業の育成がある。国内の企業には、旧原則が足かせとなって最先端の技術開発から取り残され、ビジネスチャンスを失っているという不満がある。
しかし、国民の多くの支持のもと、日本が選んできた道である。産業界の論理で割り切っていいはずがない。
新原則では、国連安保理が紛争当事国と認めない限り、禁輸の対象にはならない。歯止めとしては極めて緩く、限定的だ。輸出内容の情報公開の指針も、抽象的すぎる。
これでは国民が知らぬ間に、国際紛争を助長するような事態がおきかねない。
安倍政権は、民生分野に限っていた途上国援助(ODA)の軍事利用の検討も始めた。これもまた、平和主義の大転換である。その先に控えるのが集団的自衛権の容認だ。
こんな「なし崩し」を、認めるわけにはいかない
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