「教育委員会制度の見直しを問う1」

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教育委員会制度の改革を進めようとする動きが活発になっている。安倍政権は、道徳の教科化、週6日制、と教育委員会制度の改革など、今国会で成立させようとしている。学校現場の抱える課題は、そういった政策とは全く別次元で、困難さを増していると言えよう。 教育委員会を首長の権限が強まるものにしたいということだ。政治的な中立がどうなるのか。これまででも十分怪しかったのに、これからは、より強まるのは必至だ。 しかし、現場の課題を見れば、教師の多忙は限界を超えている。夜遅くまで教師は仕事に追いまくられる。新しい制度や課題があれば次々と降ってくる研究指定や公務分掌。環境教育、防災教育、IT教育、道徳教育・・・「○○教育」というものがどれだけ学校に、かぶさってきただろうか。
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その度に、教師の目は子どもから、報告書へ、研究会の提出資料の作成へと移っていく。教師のメンタルにも大きく影響を与えている。多忙から来るストレスで、疾患に陥っている教員が後を絶たない。私の周りでも、優秀で責任感の強い先生こそが、メンタル理由で学校現場を去った。  しかし、政治は容赦なく、上からの訳のわからない「教育改革」を進めようとする。現場感覚からすれば、迷惑な改革に過ぎない。 このことがどれだけ子ども達の教師の子どもと向き合う時間を奪ってきたことか。ひとつひとつの研究は大切なこと、それがたくさん降ってきた時に「多忙感」だけが現場に残る。
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もっと現場の教師にゆったりとした時間と尊厳を与えよう。その上で、子どもと向き合う資質をみにつけていただきたい。今、現場は若い先生達であふれている。団塊の世代が退職し、丁度入れ替わりが大きく進んでいる。そういった意味では、のびのびと教育実践を積んでもらいたい。  教師の仕事は、「いつの時代も子どもと向き合い、関わることからしか始まらない。」 福井新聞に教師の様子を書いた記事を見つけた。是非一読していただきたい。
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「先生たちへ 教育のプロ、自信を持って」福井新聞 2月23日 学校現場を取り巻く政治の動きがかまびすしい。安倍政権が進める教育委員会の制度改革、道徳の教科格上げ、公立学校の週6日制…さらに教育改革論議は、6・3・3制の見直しまで広がる。一方で、小中高校の現場では、教員に多忙感が広がっている。度重なる制度のいじくりに、教師たちの教育のプロとしての自信を失わせていないだろうか。  ■教員に漂う多忙感■  読者の近くの小中学校で、最近こんな光景を見ることはないだろうか。夜8、9時を過ぎても、校舎の職員室にこうこうと明かりがともっている。中学なら受験のせいも考えられるが、小学校でもかなり遅い時間まで電灯が消えない。学校は朝が早いはずなのに…先生たちが夜遅くまで残業しているのだ。  「何が理由か、とはひと言で言えない。とにかく仕事が終わらない」。中堅の女性教師はこうこぼす。小学校の場合、クラスを受け持てば授業やその準備、学期末の成績付けはもちろん、年間を通じての遠足や体育会、社会見学など学校行事の対応に追われる。受け持つ子どもにいじめやトラブルが起きないか、ノロウイルスなどの対策にも気を配らねばならない。加えて、さまざまな学校研究指定があり、県外視察を受け入れる。職員会議が相次ぎ、公開授業や報告書作成に迫られる。 保護者とのトラブルを抱えれば、時間だけでなく精神的にも疲労度が増す。同じ学年で長期休業の教員が出れば、他学級をカバーしなくてはいけない。「以前は、同僚の悩みを聞いてあげるとか余裕があったけど、今はとてもない。やってもやっても、いろんな仕事が降ってくる」  多忙感、やらされ感が漂う学校現場が増えている。こうした職場では、人間関係がギスギスしがちで、組織がうまく機能しなくなる。女性教師は、日々の業務に流されて「自分は、しっかり子どもたちの顔を見てあげているのだろうか」と自問する。  ■問われる「学力」とは■  そこへ教育委員会の在り方見直しである。自治体の首長の権限が強化されると、教育の中立性も不安だが、現場への指示、命令で教育委員会が防波堤となってくれないのでは、と心配になっている。こんな指導を、あんな施策を―と今以上に学校現場に“ボール”が飛んできて、今よりますます多忙となるとみている。  もう一つの心配は、ここ数年、民間企業に導入された成果主義が、学校現場に持ち込まれる風潮があることだ。学力テストの影響もあって「学力、学力」と声高に叫ばれるが、中学、高校から大学と求められるのは受験に合格する力で、名門校や有名校への進学が強調される。つまり学力の中身は「進学のための学力」になってしまう。 有名校に何人進学させた―という成果ばかりが脚光を浴びるような風潮が県内にも広がっていないだろうか。本来、学校と進学塾では、目的が大きく異なるはずで、成果に時間がかかる教育の世界に、短時間で好数字や好成績を出せ―という考えはなじまない。  ■「学校とは何」に立ち戻って■  とは言え、教育界にも変化や変革は必要だ。社会がどんどん変化していく中で、いずれ社会という“大海”に子どもたちを送り出す役目の学校も、教員の考え方も時代とともに変わらねばならない。ただ、どんな変革が訪れようと、教員には、“教育のプロ”としての自覚だけはしっかり持っていてほしい。  福井県が学力、体力とも常に上位にあるのは、犯罪率が少ない、地域のきずなが強い、三世代家族が多い―など多々の理由もあろうが、まじめで優秀な教員が日々努力していることも、大きな要因である。壁にぶち当たった児童生徒と真摯(しんし)に向き合い、対話を通じて救ってきた教員も多いはずだ。だからこそ、できれば学校の中で、同僚たちと「今自分が、教えていることは、子どものどんな力につながるのか」を議論していただきたい。 教員自身が、立ち止まって「学校とは何か」を考える時間がほしい。教育のプロとして議論が深まった時、きっと小手先の改革議論に流されない方向性が見えるはずだ。 (加藤 佳紀)
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