秘密保護法成立―憲法を骨抜きにする愚挙  朝日新聞

秘密保護法成立―憲法を骨抜きにする愚挙   2013年12月7日  

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何たることだ、「民主主義の自殺行為」である。言論の自由を制限する法律を、議員多数の力を背景に、強引に押し進め、問題がありすぎるこの法律を議論を無視して押し通した。このやり方は、「暴挙」としか言いようがない。 自民党に絶対多数を許してしまった国民とその国民の信に答えられなかった民主党の責任が問われる。   丁度1年前の選挙に、私たちは何を求めて投票したのか。もう一度振替って見ていただきたい。 今程、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」をうたった憲法が正面からの危機に陥っていることはない。秘密保護法の成立をきっかけに国民の声が高まることを期待している。
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特定秘密保護法が成立した。  その意味を、政治の仕組みや憲法とのかかわりという観点から、考えてみたい。  この法律では、何を秘密に指定するか、秘密を国会審議や裁判のために示すか否かを、行政機関の長が決める。  行政の活動のなかに、国民と国会、裁判所の目が届かないブラックボックスをつくる。その対象と広さを行政が自在に設定できる。  都合のいい道具を、行政が手に入れたということである。領域は、おのずと広がっていくだろう。  憲法の根幹である国民主権と三権分立を揺るがす事態だと言わざるをえない。  近代の民主主義の原則を骨抜きにし、古い政治に引き戻すことにつながる。  安倍政権がめざす集団的自衛権行使の容認と同様、手続きを省いた「実質改憲」のひとこまなのである。 ■外される歯止め  これまでの第2次安倍政権の歩みと重ね合わせると、性格はさらにくっきりと浮かび上がってくる。  安倍政権はまず、集団的自衛権に反対する内閣法制局長官を容認派にすげ替え、行政府内部の異論を封じようとした。  次に、NHK会長の任命権をもつ経営委員に、首相に近い顔ぶれをそろえた。メディアの異論を封じようとしたと批判されて当然のふるまいだ。  そのうえ秘密保護法である。  耳障りな声を黙らせ、権力の暴走を抑えるブレーキを一つひとつ外そうとしているとしかみえない。  これでもし、来年定年を迎える最高裁長官の後任に、行政の判断に異議を唱えないだろう人物をあてれば、「行政府独裁国家」への道をひた走ることになりかねない。  衆参ねじれのもとでの「決められない政治」が批判を集めた。だが、ねじれが解消したとたん、今度は一気に歯止めを外しにかかる。はるかに危険な道である。  急ぎ足でどこへ行こうとしているのだろう。  安倍政権は、憲法の精神や民主主義の原則よりも、米国とともに戦える体制づくりを優先しているのではないか。  中国が力を増していく。対抗するには、米国とがっちり手を組まなければならない。そのために、米国が攻撃されたら、ともに戦うと約束したい。米国の国家安全保障会議と緊密に情報交換できる同じ名の組織や、米国に「情報は漏れない」と胸を張れる制度も要る……。  安倍首相は党首討論で、「国民を守る」ための秘密保護法だと述べた。その言葉じたい、うそではあるまい。 ■権力集中の危うさ  しかし、それは本当に「国民を守る」ことになるのか。  政府からみれば、説明や合意形成に手間をかけるより、権力を集中したほうが早く決められる、うまく国民を守れると感じるのかもしれない。  けれども情報を囲い込み、歯止めを外した権力は、その意図はどうあれ、容易に道を誤る。  情報を公開し、広く議論を喚起し、その声に耳を傾ける。行政の誤りを立法府や司法がただす。その、あるべき回路を閉ざした権力者が判断を誤るのは当然の帰結なのだ。  何より歴史が証明している。  戦前の日本やドイツが、その典型だ。ともに情報を統制し、異論を封じこめた。議会などの手続き抜きで、なんでも決められる仕組みをつくった。政府が立法権を持ち憲法さえ無視できるナチスの全権委任法や、幅広い権限を勅令にゆだねた日本の国家総動員法である。  それがどんな結末をもたらしたか。忘れてはならない。 ■国会と国民の決意を  憲法は、歴史を踏まえて三権分立を徹底し、国会に「唯一の立法機関」「国権の最高機関」という位置づけを与えた。  その国会が使命を忘れ、「行政府独裁」に手を貸すのは、愚挙というほかない。  秘密保護法はいらない。国会が成立させた以上、責任をもって法の廃止をめざすべきだ。  それがすぐには難しいとしても、弊害を減らす手立てを急いで講じなければならない。  国会に、秘密をチェックする機関をつくる。行政府にあらゆる記録を残すよう義務づける。情報公開を徹底する。それらは、国会がその気になれば、すぐ実現できる。  国民も問われている。こんな事態が起きたのは、政治が私たちを見くびっているからだ。  国民主権だ、知る権利だといったところで、みずから声を上げ、政治に参加する有権者がどれほどいるのか。反発が強まっても、次の選挙のころには忘れているに違いない――。  そんなふうに足元をみられている限り、事態は変わらない。  国民みずから決意と覚悟を固め、声を上げ続けるしかない。
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