「失われた地名」

「失われた地名」

長坂に「鹿島」というバス停があります。市民病院前と長坂の間で、くすの木台団地、大楠高校や荻野小に一番近いバス停です。
しかし、周りを見渡しても鹿島という地名も、鹿島神宮のような神社もありません。さて、なぜバス停が鹿島なのか、知っていますか?

 実は昭和の10年頃まで、現在の大田和のネッツトヨタあたりから、佐島入り口までの海側の地域を「鹿島」と呼んでいました。現在、海上自衛隊や市民病院、海洋科学高校、電中研などある広い地域にあたります。
 戸数も農漁業に従事する家が20軒~30軒ぐらいあったようです。また、岩崎弥太郎の岩崎家の大きな別荘が海岸にあったそうです。その名残で現在でも海上自衛隊の中にある山は「岩崎山」と呼ばれています。

そこに軍の命令で、海兵団の建設のため接収され、鹿島に住んでいた家は立ち退きとなって、周辺の荻野や長坂に住むこととなりました。
 私の家もこの中の一軒でした。 先日同級生と話ていて、旧鹿島在住の家は、親せきから「かじま」、「かじまの家」と呼ばれていることがわかりました。

その後、終戦まで武山海兵団では志願兵や徴兵の若者を訓練して戦地へと送る施設として運営されました。中には、学徒出陣の学生も武山海兵団に衣笠から歩いて到着との記録も残っています。更に、戦後は米軍が一時期使用して、騎馬隊がいて、乗馬の練習をしていたようです。その後返還され、現在に至ります。

 停留所「鹿島」はこの地域の歴史の中で、「失われた地名」を後世に残そうとした祖先の思いだったようです。

横須賀市議会議員 長谷川昇

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